徒然

あっという間にもう2月だよ。来月にはじいちゃんの一周忌があって「ああ、もう一年か」てちょっとしみじみ思った。一年前の今頃はまだお父さんは生きていて、生きているどころか病気であることを自分も家族も誰も知らなくて県外で元気に働いていたのだなぁと思うと不思議な気分です。じいちゃんの葬式に帰れないけど私と妹で代わりを務めて欲しい、て妹の携帯にメールをくれて転送してもらったそれを今でも時々読み返します。『逝ってしまった人は仕方がないけれど残ったおばあちゃんが心配です』とか書いてあるの。それから半年後に自分は父親も*1母親も嫁も娘も残して逝っちゃうというのに。お父さんのことを思い出さない日はないんだけど、じゃあ大好きだったのかと聞かれると答えは否です。大切だったけど大好きとは違った。でもおとうさんがもうこの世にいないことはずっとずっと寂しくて仕方がないよ。帰ってくるんじゃないか、っていつも思う。変な話、炉に入るまでは確かにおとうさんだったけど、出てきた骨はおとうさんかどうかわかんないもん。だから骨を拾うときとか、悲しいというよりもこれがおとうさんだという実感が薄かった。悲しい気持ちはあのボタンを押したときに一緒に燃えてしまったみたいで、後には寂しいという気持ちしか残ってない気がします。
元気かなぁ、って毎日思う。ケータイも手紙も届かない、どこか知らない遠くの国で、元気で居るといいなぁって思ってます。

*1:死んだじいちゃんは母方の祖父