「超・電王」について。

ライダー史上初の快挙、大人気作の新<超>シリーズ化・決定  新たな旅のレールは<超・電王>へ!  映画「超・仮面ライダー電王&ディケイド」の製作決定!

tv asahi|テレビ朝日
この記事に関して。色々思うところあるので畳みます。

「電王」という作品がとても人気があってとてもたくさんの人に愛されていたこと、そしてそのことが大きなお金になったであろうことは想像に難くない。でもその、たくさんの人たちに愛された「電王」ってやっぱり良太郎が居て、モモ・ウラ・キン・リュウジークが居て、侑斗が居て、デネブが居て、ハナちゃんが居て、おねえちゃんが居て、ナオミちゃんが居て、オーナーが居る、それなんだと思う。誰が欠けてもそれはもう電王じゃなくて、嘗て電王だった何か、になってしまう。すべての人たちがもう一度集まることが出来ないのであったら、もう、新しい電王は作らなくてもいいんじゃないかな。この前の映画で、新しい時代はもう始まっていることがわかって、NEW電王つまり幸太郎が物語の中心になるのなら、そこにはもう、良太郎もモモもウラもキンもリュウちゃんもジークも要らないよ。幸太郎と、ジークと、それから新しい人たちの新しい物語を作ればいいと思う。その新しい物語も私は見てみたいと思う。
5月の映画を見るか見ないかと言えば、やっぱり見ると思う。どんな形であっても電王は大好きだし、タロスズにまた会えるのだとしたら単純に嬉しい。でもやっぱり。良太郎が小さくなるのはどう考えても健のスケジュールの都合だろうし、健以外の良太郎はやっぱり良太郎じゃないし、かといって健に無理もして欲しくないし、複雑な気分。そして「電王」と冠するからにはみんながそこに居て欲しいよ。