ス・ト・リ・ッ・パー

「ふたつの搭、歪んで立って」の本田さんharuneco.のあや・・さんのKinKi観はお二人ともKinKi至上主義ながらそれぞれ剛さん寄り光一さん寄りの視点で書いてあってとても興味深い。お二人のテキストはとても愛があって、けれど冷静にKinKiを見てらっしゃるので尊敬する。あんなふうに書けたらいいのに、といつも思うけれどいつも断念。難しい。
そして一昨日断念したテキストをほんの少しだけ出してみる。
剛さんはストリッパーです。総てをさらけ出すことに快楽を覚えるタイプ。だからこそ彼の作詞作曲した曲は彼によって表現されなければ意味がないのです。誰かがカバーしてもそれはただの薄っぺらいものにしかならない。何故なら彼の楽曲は彼自身だから。そして受け手は彼によって吐露される感情の断片に共感し、陶酔する。反対に光一さんは表現者。自分のものではないものを自分の中に取り込み飾る。内面を見せることを彼は酷く恐れる。覆い隠された飾りのすき間からちらりと覗く内面を、受け手は探し出して慈しむ。
KinKiの二人はこんなにも正反対なのに酷く似ている気がするのは何故なのだろう。

タイトルはあれです、ジュリー。私はジュリーの歌が凄く好き。