難しいなー

ブログを始めて、以前よりもたくさんの方に読んでいただけるようになりました。そしてKinKiの話題が格段に増えました。それは「KinKi]という検索ワードでたくさんの人が来てくださるようになったことと、私がKinKiに関する文章(含むブログ)を読むようになったことが大きな理由です。

KinKiを愛し始めてもう10年以上*1が経ちますが、今が一番KinKiのことについて考えているかもしれない。勿論今までも色々考えてはいたけれど、今みたいにいろんな人の意見を知ることはなかったし(知ろうともしてなかったかもしれない)、彼らについてきちんと語ったことも少なかった。(○○が好き、とかここが良かった、とか言うのはあちこちで叫んではいたのだけれど。)ただ単にKinKiちゃんたちを愛でていただけでした。ブログを始めて、それが良いのか悪いのかは別として、KinKiを好きになって初めて、私にとっての「堂本光一という人」「堂本剛という人」「KinKiKidsというふたり」を色々考えて文字にするようになりました。
でも結局のところ、それは全て「私にとっての」というものでしかない。結局、こーちゃんのことはこーちゃんにしか、つーさんのことはつーさんにしか、KinKiのことについてはKinKiの二人にしかわからないのだから。*2私の考えたことは、あくまで想像であり妄想であり理想だから。現実を目にしても、それを自分の中で解釈すれば、それはもう現実ではない。「私の解釈した姿」なのだ。
病気になってしまった剛さんを責める事は誰にも出来ない。彼の全てを本当に理解することも誰にも出来ない。けれど、病気について書かれている本を読んで少しでも彼の抱えてしまったものを分かろうとした光一さんの姿が、ファンとしての正しい在り方(そういうものがあるのだとしたら)を教えてくれているのかもしれないと思う。
分かることではなく、分かろうとする努力を。ありのままの姿を認めようとすることを。そして、幸せであることを望むことを。
けれどアイドルであり「商品」である彼らに私たちの理想を求めることも、ファンとしては当然の姿なのだろう。
ファンというのは、そしてファンであることは難しい。


なんか前に書いたこととも被る気がするけどまあいいや。

あ、追記。
私は2000年の名古屋コンも、Fコンの追加も見ていないのでそのときの彼らについては何も触れることができないのです。2000年の時は名古屋の後の広島に参加して、名古屋に参加したお知り合いの方から名古屋のときの様子を伺ってかなりドキドキしながら参加したんですが、ノリよかったしサービスも多かったので。

*1:12年……? 詳しくカウントし始めてないから覚えてないですが。

*2:誰かのことを完全に理解した、理解できた、と思うのは、エゴだと私は思う。